昭和6年の東京模型で辿る湾岸エリアの過去

 

先日、東京都建設局が主催の「東京 橋と土木展」に行ってきました。
これがマニア的には想像を超えるボリューミーな内容で大満足だったのですが、中でも目を引いたのは関東大震災からの復興を示した昭和6年9月現在の東京市の模型でした。


いやーすごい…!
こんな貴重なものがあったとは露知らず、しばらく覗き込んでました。
昭和6年は戦争が始まるちょうど10年前でまだ日本が平和だった頃ですね。(渋沢栄一が亡くなった年でもある)
写真では非常にわかりにくいのですが、至るところに丘があるのがよくわかりました。森ビルの”ヒルズ”という名称は巧いくらいに東京を表現しているなぁと。
ちなみにこの年、ニューヨークでは高さ440mのエンパイアステートビルが完成していたことを鑑みるとあの国がどれほど先を行っていたのかが容易に想像できます・・

というわけで、今回は在りし日の湾岸エリアにフィーチャーしてみたいと思います。

築地と勝どきを結んで74年、色褪せない勝鬨橋

勝鬨橋
湾岸エリアの景観を語る上で、このロマン溢れる歴史的な橋は欠かせません。

隅田川に架かる17本の橋のうち、11番目に古いのが隅田川の最下流に架かる勝鬨橋。
(現在工事中の環状2号線・勝どきー築地区間が完成すれば下流から2番目の橋になります)

国の重要文化財にも指定されている勝鬨橋が完成したのは、1940年6月。
元々は、1940年に現在の晴海で計画されていた”紀元2600年記念日本万国博覧会”という国際博覧会のメインゲートとして利用するために、当時の最先端技術の粋を集めて建造されたそうです。
しかし、日中戦争の激化により博覧会は中止となったそうな。。

中央が開閉する勝鬨橋は、完成当時は跳開橋として東洋一の規模を誇っていましたが、隅田川を航行する船の減少、交通量の増加などによって現在では開かずの橋となっています。
以前も書いたけど、小学生のときに読んだこち亀の ”勝鬨橋ひらけ!!”のエピソードは忘れられません。
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