月島の『魚菜 はざま』が心底旨かった件…!

 

珍しく食に関する記事です。
今日、月島にある『魚菜 はざま』というお店に連れて行っていただいたんですけど、それがまあ〜旨かったんです!

自分は刺身定食かホホ肉ユッケ&中とろと迷って後者に。
マグロのホホ肉を刺身の状態で出してくれるお店ってあんまりなくて真っ先に目に止まったのがこれでした。
それが大正解!

もしも月島に引っ越したなら・・・

 

湾岸に夜景を撮りに行くのがだんだんしんどくなっている今日この頃。
それは機材の重さと距離にある・・自宅から晴海運河まではドアドアで片道ほぼ80分。
夜景の場合は三脚を持たなければならず、その間トータルで3kg超の機材を背負って移動するのは修行に近いものがある。
認めたくはないけど、5年前と比べると確実に衰えを感じているわけで・・

この先、おじいちゃんになるまでこのライフワークを継続するには機材を軽量化する、もしくは近くに引っ越す、という2択が思いつくが、前者はほぼ実行済みなのでこれ以上の軽量化は難しい。

そうなると近くに引っ越すしかない・・!

というわけで、現在付き合っている相方と同棲するためにどこかに引っ越すという機運が来年やってくるので月島に住んだ場合のメリット、デメリットを考察してみたい。

聖路加タワーから見る10年前の勝どき・月島周辺

 

中央区の明石町にそびえるシンボリックな聖路加ガーデンの高い方、聖路加タワーは過去に展望台として高層階の一部が無料で解放されていました。

当時、都心にある展望台ではこの場所が一番気に入っていたのです。
絵に描いたような開放感のあるリバーフロントの景色がたまらなく好きでした。
理由はわかりませんが、2010年7月15日をもって惜しくも閉鎖。
(聖路加ガーデン内にある”銀座クレストン”というホテルに宿泊すれば同じような景色は見ることができます)

数枚ではありますが、2009年の暮れに撮影したもので当時を振り返ります。

水辺のオアシス「湾岸エリア」は雑多な東京のイメージをくつがえす場所、10年通って伝えたいその魅力

text and photo by ハスミ@833__3

 

東京の「湾岸エリア」という場所がどのくらい知られているのだろうか。

東京都心のすぐそばにゆったり静かな時間が流れている場所があることがどのくらい知られているだろうか。

東京だけど、東京を感じさせない場所。そこはまるで喧騒を知らないオアシス。

 

気付けば東京湾岸という場所に通い続けて、今年で丸10年。
過去に住んでいたわけでもなく、職場があったわけでもなく、かと言って誰かに頼まれたわけでもなく

“ただただこの場所が好き”

という理由でこれまで長い間訪れては写真を撮ってきました。俗に言うサードプレイスってやつです。片道約2時間かけて通っていた時期もありました。ちょっと頭おかしくないとできないと思う。

10年前はサラリーマン。今は駆け出しのフォトグラファー。当時、今がこうなっているとはもちろん知る由もなく。迷いつつサラリーマンやるくらいなら、リスク背負ってでもやりたいことで燃えた方が後悔はずっと少ない。

過去も今も環境は変われど、東京湾岸を愛する気持ちでは誰にも負けません。
もう好きすぎて、好きすぎて・・気持ち悪いですね。
でも、本当に、本当に、マジで、心の底から、この星でもっとも東京湾岸の景色に強烈で揺るぎないロイヤルティを感じているのはハスミです!(炎)

ブログのドメインも「tokyo-wangan」にしてますし。笑

 

この記事を書くことによって東京にこびり付いた雑多なイメージを少しでも和らげることと、東京にもこんな場所があったのね!という新たな気付きを多くの方にもたらすことができれば、と思っております。(おまえ東京のなんなんだ)

自分はその湾岸エリアを東京にある水辺のオアシスだと強く思っているのですが、その理由を紐解いていくと同時に湾岸エリアという場所をまだご存知ない方に向けて、10年分の積年の思いを込めて、鬱陶しいくらいにその場所の魅力を語ります!

かなり長くなってしまいましたけど・・どうか最後までお付き合い願います!

昭和情緒溢れすぎる月島の町並みは今後どうなっていくのか

 

こんにちは、昭和マニアです。

母方の祖父の家が大正10年築の古民家だったこともあり、幼い頃から古いものに囲まれる時間が多かったように思います。
そんな影響からか、気付けば昭和30〜40年代の風情が好きになっていました。笑

さて、世間的に月島といえば、”もんじゃ焼き”だと思いますが、個人的には昭和の町並みだったり。
特に昭和の民家が立ち並ぶ狭い路地は、昭和マニアにとってはたまらないものがあります。

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