人様に写真を撮ってることを話すと「今はカメラの性能が良いから誰でもきれいな写真撮れるからね〜」的な事を時折言われたりする。けっこうプライドが傷付く一言。確かに画質的にきれいな写真は撮れるけれども。
東京に住んでた頃、都心でススキを見た記憶はない。変化の早い湾岸でもどこかノスタルジックを感じる場所も。ギャップが好きです。
スマホでアプリをダウンロードする前にレビューを読んだりするけど、よく「早く直せ」だとか「まったくつかえない」だとか辛辣なレビューを多々目にするわけで。仮にそれを書いたのが中学生だとしても人として残念すぎる。
“日本”という良質なサービスが受けられて当然の国に生まれてぬるま湯に浸かりすぎた弊害。
「文句を言うなら自分で作ってみろ、馬鹿が。」と思うわけです。
あえて言おう、カスであると。
本のレビューについても同じ。手っ取り早く答えだけが欲しいと思って買って読んだ結果、求めているものが書かれていないと低い点数を付けたりする。何かを勘違いしているとしか思えない。
『野に咲く花のように』
『湾岸を歩いてみれば、東京五輪の音がする』
想像を超えた美の存在に遭遇したとき、 僕は人以外の事(コト)でも物(モノ)でも場(バ)でも、そこにエロティシズムを感じる。
この心の動揺こそが、 僕に写真を撮らせる源のように思える。
上記は現場も撮影したりする篠山紀信さんのコトバですが、私もこういう場(バ)にはエロスを感じます。
それはもはや性的興奮ですね。どんなにスタイルの良い女性の裸体よりも。
今思えば、性の目覚めは東京スカイツリーの現場を撮影したときだったかもしれません。
何言ってんだろ。笑