昭和6年の東京模型で辿る湾岸エリアの過去

 

先日、東京都建設局が主催の「東京 橋と土木展」に行ってきました。
これがマニア的には想像を超えるボリューミーな内容で大満足だったのですが、中でも目を引いたのは関東大震災からの復興を示した昭和6年9月現在の東京市の模型でした。


いやーすごい…!
こんな貴重なものがあったとは露知らず、しばらく覗き込んでました。
昭和6年は戦争が始まるちょうど10年前でまだ日本が平和だった頃ですね。(渋沢栄一が亡くなった年でもある)
写真では非常にわかりにくいのですが、至るところに丘があるのがよくわかりました。森ビルの”ヒルズ”という名称は巧いくらいに東京を表現しているなぁと。
ちなみにこの年、ニューヨークでは高さ440mのエンパイアステートビルが完成していたことを鑑みるとあの国がどれほど先を行っていたのかが容易に想像できます・・

というわけで、今回は在りし日の湾岸エリアにフィーチャーしてみたいと思います。

 

 

 


この頃は佃、月島、勝どき以外は未開の土地でした。
豊海も晴海もまだ完成しておらず、築地市場も無ければ勝鬨橋も架かっていません。
築地を流れる築地川もまだ日の目にさらされていました。

陸路では都心から佃に行くには永代橋を渡って門仲経由で相生橋(現在の橋ではない)を渡るしかなかったんですが、それを解消するために佃の渡しと月島の渡しがあったんですね。
模型の船はそれを表していると思ってます。

 

 


こちらは未開の豊洲、東雲、辰巳エリア。
そもそも土地の名称もまだなかった頃。

 

 


この後になって各エリアに地名が設けられるわけなんですが、すぐそこが広大な東京湾であることから今とは比較できないほどに開放的だったわけで。
そうなると晴海や豊洲、東雲、有明など、どこか希望を感じさせる素敵な地名にしたかった気持ちもよくわかるなぁと・・ちょっとロマンを感じた次第です。
東雲なんてまさに文字通りにこの場所から美しい夜明けが拝めたことだと勝手に想像します。

 

 


さらに引いた図。
もちろん有明もお台場もまだ無いんですが、こうして見ると一つ気付きませんか?

そう、今も現存している東京港旧防波堤!
今とは少しだけ形状が異なりますが、まだ付近が埋め立てられていなかったことから大正から昭和初期にかけて築かれた防波堤なんですね。
今でこそ鬱蒼とした木々に覆われていますが、植林されたのは戦後。日本の近代土木遺産に指定されています。

 

たったこれだけで過去に色々な思いを馳せられる貴重な資料です。
普段は墨田区にある復興記念館に貯蔵されているとのことなので気になった方はぜひ。

 

 

 

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